子どもへの支え
最近新しいことを覚えることが増えている。
春だから、新しいものとの出会いがあるのも
とても自然な気がするけれど
それにしても日々頭の中を更新中という感じ。
で、ふと子どもたちのことを思う。
きっとこんな感じなんだろうなぁ。
子どもたちの毎日って
新しいことやものとの出会いで
脳の中もものすごい勢いで発達していて。
でもそこにはどこかで
安定した支えが必要で
お母さん、お父さん、おじいちゃん、おばあちゃん・・・
そしてご近所さんやもっと大きく捉えれば社会の支え。
子どもたちにはほんとに
安心、安定した支えを持ってもらいたい。
私は私のできることをやっていかなくちゃ。
春だから、新しいものとの出会いがあるのも
とても自然な気がするけれど
それにしても日々頭の中を更新中という感じ。
で、ふと子どもたちのことを思う。
きっとこんな感じなんだろうなぁ。
子どもたちの毎日って
新しいことやものとの出会いで
脳の中もものすごい勢いで発達していて。
でもそこにはどこかで
安定した支えが必要で
お母さん、お父さん、おじいちゃん、おばあちゃん・・・
そしてご近所さんやもっと大きく捉えれば社会の支え。
子どもたちにはほんとに
安心、安定した支えを持ってもらいたい。
私は私のできることをやっていかなくちゃ。
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食事と身体
食事のことを大切にするようになったのは
子どもたちのおかげとお姑さんのおかげ。
上の子が3歳前に喘息様気管支炎を発症し
当時、今ほど多くはなかった
食事を見直して身体を見ていく科を見つけ
通い始めたことが大きかった。
毎日の食事内容を日記みたいに付けて
来院日に持参し、普通の診察のほかに
食事内容を指導してもらいながら
身体を立てなおしていく。
その頃に、精白されたものが身体に与える影響や
どういうものを摂っていくと
身体により良い、より優しいのかを
少しずつ理解するようになり
生活の中に取り入れていった。
しばらくすると幼稚園にも通うようになり
お弁当に雑穀米を持たせたりもしたが
(子どもにも普通のことだったので)
当時は今ほど認知もされていず
遠足などでは「な~に、そのご飯?」と周りのママたちに
驚かれることのほうが多かった。
病気がきっかけではあったけれど
子どもが成長していく大切な時期に
こうして食事を見直していけたことは
今でもありがたいことと思っている。
お姑さんは栄養士の資格ももっていて
バリバリに肉食系。
私が大事にしていこうとしていた食事との共通項は
あまり多くはなかったけれど
1回1回の食事を栄養源としても、楽しい時間としても
大切にしている姿勢からは
私だけでなく、子どもたちも多くのことを
感じとらせてもらった。
良い食材を使うので、子どもや夫の味覚の良さは
きっとそのおかげ。
食事の大切さが
どのくらい子どもたちの中に浸透しているかは
わからないけれど、
自分の身体を守る意味でも
これからも食事を大切にして欲しいな。
子どもたちのおかげとお姑さんのおかげ。
上の子が3歳前に喘息様気管支炎を発症し
当時、今ほど多くはなかった
食事を見直して身体を見ていく科を見つけ
通い始めたことが大きかった。
毎日の食事内容を日記みたいに付けて
来院日に持参し、普通の診察のほかに
食事内容を指導してもらいながら
身体を立てなおしていく。
その頃に、精白されたものが身体に与える影響や
どういうものを摂っていくと
身体により良い、より優しいのかを
少しずつ理解するようになり
生活の中に取り入れていった。
しばらくすると幼稚園にも通うようになり
お弁当に雑穀米を持たせたりもしたが
(子どもにも普通のことだったので)
当時は今ほど認知もされていず
遠足などでは「な~に、そのご飯?」と周りのママたちに
驚かれることのほうが多かった。
病気がきっかけではあったけれど
子どもが成長していく大切な時期に
こうして食事を見直していけたことは
今でもありがたいことと思っている。
お姑さんは栄養士の資格ももっていて
バリバリに肉食系。
私が大事にしていこうとしていた食事との共通項は
あまり多くはなかったけれど
1回1回の食事を栄養源としても、楽しい時間としても
大切にしている姿勢からは
私だけでなく、子どもたちも多くのことを
感じとらせてもらった。
良い食材を使うので、子どもや夫の味覚の良さは
きっとそのおかげ。
食事の大切さが
どのくらい子どもたちの中に浸透しているかは
わからないけれど、
自分の身体を守る意味でも
これからも食事を大切にして欲しいな。
ツィッター
先月ツィッターを始めてから
今までよりも多くの情報に接するようになり
今後の自分の人生をどう生きていくのか
改めてじっくりと考える機会をもらっている。
老後は夫婦で海外で暮らしたいと
漠然と描いていた夢はあるけれど
原発事故後の今の環境において
老後までここ東京で暮らしていくことが
自分の身体を守る意味においてもできるのかどうか。
ツィッターで、日本に限らず世界のあちらこちらで
生活している人たちの声に触れたことは
良い刺激となった。
家族も含め自分自身のこれからを
しばらく時間をかけながらじっくりと考えていきたい。
今までよりも多くの情報に接するようになり
今後の自分の人生をどう生きていくのか
改めてじっくりと考える機会をもらっている。
老後は夫婦で海外で暮らしたいと
漠然と描いていた夢はあるけれど
原発事故後の今の環境において
老後までここ東京で暮らしていくことが
自分の身体を守る意味においてもできるのかどうか。
ツィッターで、日本に限らず世界のあちらこちらで
生活している人たちの声に触れたことは
良い刺激となった。
家族も含め自分自身のこれからを
しばらく時間をかけながらじっくりと考えていきたい。
赤ちゃん
友人が出産、
生まれて5日目の赤ちゃんに会いに病院へ。
無条件に可愛くてたまらない。
行った時はちょうどオネンネ中で
でも寝ながらも伸びをしたり
手を動かしてみたり
顔をしかめてみたり
ほんとに見ていて飽きない。
あんなに小さいのに
こんなに(我が子)大きくなるんだもんなぁ・・・
この子たちの未来が明るいものであるように
自分のできること、微々たるように思えることでもやっていかなきゃ。
積み重ねていこう
と改めて思った。
生まれて5日目の赤ちゃんに会いに病院へ。
無条件に可愛くてたまらない。
行った時はちょうどオネンネ中で
でも寝ながらも伸びをしたり
手を動かしてみたり
顔をしかめてみたり
ほんとに見ていて飽きない。
あんなに小さいのに
こんなに(我が子)大きくなるんだもんなぁ・・・
この子たちの未来が明るいものであるように
自分のできること、微々たるように思えることでもやっていかなきゃ。
積み重ねていこう
と改めて思った。
連鎖反応?
先日子離れのことを書いたけれど
今回はパートナーである夫のこと。
子どもが離れていくと
夫婦で向き合う時間も長くなるし
お互い自分の時間も増えますが
そんな中
ちょっと頑張って既存の体制に立ち向かっていかなければ
ならないことが夫に起こり、頑張り抜いたのです。
今までだったら多分ここで引いていただろうという所で
引かずに立ち向かっていったその姿に
子どもの成長と重なるくらいの夫の変化を見ました。
驚きました。
傍からは応援することしかできなかったけれど
一生懸命応援してよかったと思えた出来事でした。
家族の中だけ見ても成長、変化著しい時。
誰かが変わることが他の誰かにも影響している。
どこかで見えない何かで繋がっているような・・・・
そんな気がします。
春なのも関係しているのかな。
季節との呼応もあるんでしょうね、きっと。
今回はパートナーである夫のこと。
子どもが離れていくと
夫婦で向き合う時間も長くなるし
お互い自分の時間も増えますが
そんな中
ちょっと頑張って既存の体制に立ち向かっていかなければ
ならないことが夫に起こり、頑張り抜いたのです。
今までだったら多分ここで引いていただろうという所で
引かずに立ち向かっていったその姿に
子どもの成長と重なるくらいの夫の変化を見ました。
驚きました。
傍からは応援することしかできなかったけれど
一生懸命応援してよかったと思えた出来事でした。
家族の中だけ見ても成長、変化著しい時。
誰かが変わることが他の誰かにも影響している。
どこかで見えない何かで繋がっているような・・・・
そんな気がします。
春なのも関係しているのかな。
季節との呼応もあるんでしょうね、きっと。
子離れ
先月には大学に通う長男が
勉強に集中できる環境の確保ということで
大学近くへと引っ越し一人暮らしを始めた。
今年度は色々と忙しくなることがわかったいたらしく
昨年の早い段階から準備を始めて
何とも手際よく引っ越しっていった。
我が子ながらあっぱれ!だった。
出ていった後の部屋は本当にガランとしていて
(良く聞くセリフだけど、本当にそうだった!)
急激に何とも言いようのない寂しさがこみあげてきた。
これまでも何度かあった
子どもの成長に伴う、離れる痛み
とでも言うのかな。
それでもこれまではまだ同じ家にいたから
今回の痛みは格別。
でもすごく喜ばしいことでもあるから
寂しい半面、実はどこかでものすごくよかったね!と
思っている自分がいる。
下の子は大学入学。
こうして、これまで大切にしてきたもの(存在)が
一つ一つ自分から離れていく。
寂しいだけでは言い尽くせない
何とも言えない感情が湧く一方で
一つの役目が終わりに近づき
自分自身の人生を存分に生きることに
エネルギーを費やせる日が近いことが
素直に楽しみでもある。
そんな自分の内側の状況に合わせて
外側?の家をきれいに掃除。
カーテンも全て洗って、拭き掃除も丁寧にして
何だかスッキリ。
軽くなりました。
勉強に集中できる環境の確保ということで
大学近くへと引っ越し一人暮らしを始めた。
今年度は色々と忙しくなることがわかったいたらしく
昨年の早い段階から準備を始めて
何とも手際よく引っ越しっていった。
我が子ながらあっぱれ!だった。
出ていった後の部屋は本当にガランとしていて
(良く聞くセリフだけど、本当にそうだった!)
急激に何とも言いようのない寂しさがこみあげてきた。
これまでも何度かあった
子どもの成長に伴う、離れる痛み
とでも言うのかな。
それでもこれまではまだ同じ家にいたから
今回の痛みは格別。
でもすごく喜ばしいことでもあるから
寂しい半面、実はどこかでものすごくよかったね!と
思っている自分がいる。
下の子は大学入学。
こうして、これまで大切にしてきたもの(存在)が
一つ一つ自分から離れていく。
寂しいだけでは言い尽くせない
何とも言えない感情が湧く一方で
一つの役目が終わりに近づき
自分自身の人生を存分に生きることに
エネルギーを費やせる日が近いことが
素直に楽しみでもある。
そんな自分の内側の状況に合わせて
外側?の家をきれいに掃除。
カーテンも全て洗って、拭き掃除も丁寧にして
何だかスッキリ。
軽くなりました。
入学式
子どもの入学式、といっても大学です。
急きょ出席することにし、参加してきましたが
行ってきて良かったと思いました。
やはり一つの節目。
桜の花があちらこちらで目に入る中
式に参加しながら、幼稚園の頃からのそれぞれの入学式を
懐かしく思い出していました。
これでまた一つ親の手を離れていく。
こんな日がくることはわかってはいても
子どもたちが小さかった頃には
果てしない先のことのように思われたものでした。
でも、振り返れば
案外早いものだと感じます。
時間の感覚は不思議なもの。
でもその案外早くに感じられる時間の中には
たくさんの出来事がつまっていて
おかげで、親としても人としてもずいぶん成長させてもらいました。
ありがとう、子どもたち。
何より大切な宝物。
急きょ出席することにし、参加してきましたが
行ってきて良かったと思いました。
やはり一つの節目。
桜の花があちらこちらで目に入る中
式に参加しながら、幼稚園の頃からのそれぞれの入学式を
懐かしく思い出していました。
これでまた一つ親の手を離れていく。
こんな日がくることはわかってはいても
子どもたちが小さかった頃には
果てしない先のことのように思われたものでした。
でも、振り返れば
案外早いものだと感じます。
時間の感覚は不思議なもの。
でもその案外早くに感じられる時間の中には
たくさんの出来事がつまっていて
おかげで、親としても人としてもずいぶん成長させてもらいました。
ありがとう、子どもたち。
何より大切な宝物。